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これまで書かなかった実話

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先日、フェイスブックで三連続投稿した文章を、ブログに貼ってみよう。
就農開始以来の出来ごとを振り返ってみたら、想像以上に反応があったからである。
以下、少々の添削はあるものの、ほぼ原文まま。これまでブログに書けずにいたいた
事も多々。当ブログを全て読み返すような猛者がいれば、その時その時の記事の
補足程度にはなるかと思う。また、予備知識なしでもそれなりに面白いという声も
多く頂いた。それでは、写真ナシでいってみよう。


農繁期。体は、なんとか仕事をちゃんとこなせるレベルで推移。
しかし、ここのところ疲労も去ることながら、頭がどうしても休まらない。明日は心身
ともに徹底的に休むことにした。で、一日だけ実家に戻ることにして、帰省の電車に
揺られているところ。本を読んでいてふと思う。就農して九年目、ここまで何があった
かなと。
 

一年目
研修という名の実地ほったらかしを食らう。一町分の田んぼを好きなように管理せいと
言われる。師匠は、苗作りと代かきまではしっかり面倒を見てくれたが、その先で、
師匠の父が研修に執拗に絡んできておかしくなる。癇癪持ちでごうつくばりのじい様は、
自分に対して法外とも言える作業代行料金と、機械代などを要求してきた。田植えが
済んで、収穫の見通しの立った夏場になってから請求してくるあたり確信犯である。
そして、乾燥モミ摺りも、かなり使い倒された中古のモミスリ機を20万円で購入しな
ければやらせない等と脅す。その機械は、私の知り合いが師匠の家に無償譲渡したもの
だと後日判明。私は、その忌まわしい機械を、小見川の地を離れるまで、意地で使い
続けた。それを回す度に、じい様へ無意識に呪詛を込めていたのかもしれない。
じい様は、二年前に亡くなった。ごうつくばりな所以外はお互いに割と話も通じると
ころもあったが、無論葬式はスルーした。
結局、まだその地にネットワークの出来ていない私は、詐欺だと知りながら諸々の
請求を受け入れざるを得なかった。合計76万円。でないと、米を自力で販売してみると
いうところまでつなげられないからである。割と早い段階で、請求が来ることを察知
したので、むしりとられて逃げ帰るのだけは御免だと、夏に中古トラクターと中古
コンバインを購入。研修中にそんなものを購入する奴がどこにいるのかと。
 

二年目
前年の、苦すぎる経験が生かされたのか、稲作に最低限必要な設備が整う。
工事や機材代で、貯金が底をつく。しかも、野良仕事返上で工事を進めざるを得ず、
収穫は最低となる。この年は連続で40日以上雨が降らず、連日炎天下のもとでコンク
リートの削岩や砕石、土砂運びなどを繰り返して、草刈りの体力が辛うじて残る程度に
まで消耗。この年から、通い耕作グループの受け入れと指導を始める。
苦しい状況の中で、自分を訪ねてくれる友人知人の有り難さ、一緒に作業する仲間の
大切さを知る。
 

三年目
途中までは順調だった(気がする)。
しかし、信頼性の低いセコハン使いの心もとなさ故に集めてしまった農機の保管方法が
まずく、不動産屋に不信を抱かせてしまう。処理方法と土地の使い方を先方と協議の上、
不要品の処分を開始したそばから、何故か不動産屋と懇意の農家のおっさんから同件の
物言いがつく。
社長と話がついているはずの件でイチャモンをつけてくるのもおかしいと思いながら、
黙って聞いていると、イチャモンは罵詈雑言へとエスカレート。挙げ句、自分の両親や
友人たちの悪口にまで発展。二時間それに耐え続けたが、流石に我慢ならずキレて殴る。
アゴへ軽く一発、頭突き一発。来いよと言ったのは向こう。警察がなんたらとか言う
ので、自分で警察を呼んだ。
相手は示談にしなさいというお巡りさんの声を無視して被害届を提出。なのに翌日から
恐喝を繰り返す、目がおかしいから治療費を寄越せと実家にまで電話をかける頭の悪さ。
アホ故に何をしてくるか解らない怖さが後二ヶ月ほどつきまとう。その後、父も手助け
してくれ、相手の働いた行為が詐欺罪になるから刑事事件でという話で警察に動いて
もらえることになり、対立は落ち着く。こちらの行為は傷害事件として扱われているはず
だが、未だ書類送検されず。佐原警察で撮った写真と指紋はなんだったのだろう。

しかし、お前の親からも俺が死ぬまでふんだくってやると言った時のおっさんの顔は
忘れない。あれは本当にケダモンの顔だと、警察署での事情聴取の際に言ったら、事件の
時に駆けつけてきてくれたお巡りさんも笑っていた。あと、いや、それ思っても相手に
言ったらダメな部分だよねと、お互いツッコミどころが同じで談笑がしばらく続く。
なんだか少しだけ和やかな事情聴取だった気がする。

 
四年目
育苗棚が完成。二年前から始めた水稲露地育苗が、より洗練されたものになり、5月頭の
田植えが無理なく出来るようになる。ビニールハウスや電気での加温は一切不要。同時に
培土も従来の半分以下の使用量で済むようになる。

本格的に玄米餅の製造を始める。売れ行きも良く、黒字化への手応えを得る。
通い農グループが、農工大有志メンバー達へとバトンタッチ。カリキュラムが、種蒔き
から収穫、販売まで実際に行い、活動資金は売り上げから捻出するという、前代未聞の
ハードなものになる。この活動は、実に四年間しっかりと転がり、現在もスタイルを
変化させて継続中。これの経験者は、かなりの率で農業施設の研究者や官僚、県の
普及員などに育つ。

師匠が収穫を放り出して失踪。彼が耕作していた借地や、荒らした田んぼの今後の
管理について、後始末に奔走。結果、耕作規模は谷津田で三町分、枚数にして30枚近く、
無農薬栽培という、単独耕作にしてはほぼ自殺レベルという数字にまで増加。
地域には、ほぼ担い手がおらず、地権者のご希望に沿うには役不足とは知りながら、
師弟関係が残っていたため、やれるだけやらざるを得ない状況だった。
出来るだけ吟味して、貸借も農政を通じた方法に切り替え、地代を減額させたりと
対応するが、そもそも引き継いだ田んぼは、田んぼの体をなしているだけで、まともな
所は一枚も無かったと言って良い。
田面の高低差が20センチ近くある、田植えしたまま苗箱が埋まっている、暗渠が死んで
いる(埋まって効かない、完全に抜けて陥没穴が空き水が溜められない両方)、土手が
派手に崩れている、田ではなくヤブ化している、田んぼ周囲に産業廃棄物のゴム部品が
何トンも野積みされていてくさかりすら出来ないなど、荒れるにしてもケースは色々。
あらゆるものを見た気がする。もはや嫌がらせを通り越している感があった。そこを
全て引き受けた訳ではないが、地域からも役場からも諸々の相談が私の所へ来るのだ。
会社にいた頃の組合役員時代へ戻った気がした。間違えても、一人だけで組合と同じ
事は出来ないのだが。
彼の行ったことは、農政、地域、そして彼が育てるべき担い手に対する重大な背信行為で
あり、おそらくそれ故に彼は失踪以来一度も地元に戻ってこず、また誰も連絡がつか
ない。失踪して三年経ったころ、彼の母親に尋ねてみると、

『さあな、死んだんでねえの。』

色々と悲しすぎて絶句した。じい様の葬式にすら戻ってこなかった。曲がりなりに
師匠は農家の長男。肉親にそう言わしめだけのことをしでかしたんだなと。ただ、
自分がそれを知ったところでどうしようもない。

青年就農給付金制度が始まるが、自分がいる所は年度内に人・農地プランに加わる事が
自治体の都合によって叶わず、自分が給付を受けれるのは翌年、翌々年のみの2年のみ
となる。
 
 
五年目

引き継いだ農地の管理が、全てを圧迫し始める。そもそも、それ以前に耕作していた
田ですら、周辺の農家で管理が困難になった条件不利地が大半。そこに加えての極悪
田んぼ。最早、気概を持って耕作に励む事が困難になりつつあった。結局、どう足掻いて
も物理的に作付が不能な田が8反ほど発生。そこは通年草刈りと耕起のみの管理となる。
地代を支払ってそれでは不毛過ぎると、仕方なくそれら土地を生産調整に充てている
ことにし、転作なしの最低保証のみ受け取る。姑息この上なくて恥ずかしかったが、
地権者へのボランティアでそれをやるだけの余力は無い。草刈りやトラクタの燃料代
くらいにはなるだろうと、市の農政は同情してくれた。
玄米餅の販売が順調に伸び、製造方法も手の込んだものへと発達。悲願の黒字達成。
しかし米の売り上げはトントン。未だ、雑草に負けるイネが多く、収穫量は安定しない。

この年の夏、現在の妻と付き合いが始まる。
暮れに、社会不適合の極みな友人が来て居候。世の中の仕組みを伝えるべく心を鬼に
して指導。これはまた別の話か。
 
 
六年目
年初から、依頼がありメタン発酵消化液の液肥試験をすることになる。四月からは、
これまた別の依頼で、佐原のアヤメ園で、香取市の臨時職員として、片手間程度に働き
だす。ここへきて、農業的な知識と機械分野の技能が本業以外でも生かされ、生計を
支え始める。

近くの生産法人の知り合いのところへ稲作希望者が入社。そちらで研修をさせて欲しい
というので受け入れる。すったもんだもあったものの、彼にも田をあてがい、相互に
協力しあいながら、何とか田んぼを維持。
また、ここで稲作を本格的に始めたいという知人も現れ、そこへもノウハウや設備面
への支援を開始。

就農当初の目標である、反収六俵を達成。翌年にかけて、初めてお客様に通年で自分の
米を供給することが出来た。

結婚が決まる。相手の家を継ぐという話の流れになったので、小見川での耕作は翌年で
終了し、翌々年に婿入り先で農業を出来るように準備を始める。
 

七年目

引っ越しを控え、その準備に時間を割かねばならないので、耕作規模を減少させる。
総計で、一町分弱。実に、研修開始時の管理面積に戻る。周囲の農業者には事情を
伝えて回り、この地を離れることに一定の理解を得る。耕作能力を失っている地権者に
返上した土地の一部は、ご本人に機械を貸したり、作業を請け負うなどしてヤブになら
ないよう配慮。また、比較的管理がしやすい所は、少し前述の新規就農者に引き継いで
もらえた。後任の見つからないまむ返上した田は、次第にヤブ化してゆく。心が痛む。

この年は、生育も順調で、それなりの収穫も見込まれたが、5月下旬~6月上旬に
植えたイネの開花期に、五日間強風が吹き荒れ続け、不稔が多発。穂がいつまでも
垂れ下がらずに突っ立ったままの姿で、収穫見積もりの半量程度しか得られなかった。
早稲だけは無事。餅米は被害をモロに受け、11月のモチ製造を大幅にセーブせざるを
得なくなる。

時々時間を作り、いすみの農地の開墾をする。継ぐとは言え、もともと農業で生計を
立てている家ではないので、荒れた自作地もそれなりにある。中でも竹藪化した畑と
樹園地の復元と、周辺植林の徐拔は難儀し、未だにチマチマ継続中。

秋から、徐々に引っ越しを開始するも、全く年内に終わらず。開始当初、引っ越し先に
置き場を思うよう確保出来ず、家との兼ね合いを話し合ったり、他所に貸していた置き
場予定の自作地を返してもらうまでに、年をまたいだりしたためである。また、家からは
なるべく運ぶものを減らすように言われたので、農機具類をかなり処分。それでも農家
一件分の道具類、向こうで作業場を建てるための工事資材などがある。結局一人だけで
運び切るまで、年が明けてから約2ヶ月を要す。12月~1月は、引っ越しをしながら
餅を製造するという状況もなかなか辛かった。

通い農をしていた学生達の面倒を見ていたら思い浮かんだ話が、二年半をかけて完成。
ラノベまがいの農的少年少女の物語だが、書いたとて、それ以上は何に使えば良いの
考えずられず、とりあえず人見太郎のブログの頭にファイルを晒すにとどまる。
気になる方は、とりあえず読んでみれば良いと思う。
ここに書いた実話とは一転、あまり深く考えずに読めるような話なので。
 

八年目
三年近くサボり続けたブログを再開。あんまり面白い事が思い浮かばずに、何か釈然と
しないが、だいぶ長い時間が過ぎた事を実感する。

【農園タロとあき】、本格始動。
ここからは妻の動きや家のこともも密接に絡んでくるので、あまり主観的な記述は
避けようと思う。
やったことは、開墾の続き、転換畑の整備、作業場の建設、田の引き継ぎ、土質の
改良など、インフラ整備に徹する。2度目の新規就農と同じだけに、普通に農業を
出来るようになるまで最低2~3年は覚悟が必要だ。

主力の野菜は、自分より経験のある妻に主体的にしてもらい、自分はサポートに
とどまる。とにかく、若い妻の目指す農業を優先させたい。自分のやりたい事は、
落ち着いてから少しずつで良いと思ようになるが、慣れぬ仕事と連携のありかたを
考えさせられる。

現在、まさに昨年の延長線上にあり。
 
 
やりたいことを存分に実践出来た七年間は、同時に、単独での限界を感じ続けた時間
でもある。担い手不足、荒れた土地の管理、打算的な方々による結果的な耕作の妨害。
対峙しなければならない問題は、その土地に常にあるはずのものだ。しかし、その
どれもが、ある時いきなり眼前に立ちはだかるのは何故か?人は見たいものだけを
見て、見たくないものはギリギリまで見ないし、当然それを知らぬ者に、わざわざ
教えたりはしない。
何も知らずに、ノコノコとそこへやってきた者が、次々に地雷を踏むような仕組みが、
潜在的に出来上がっている。誰もそれを意図せずにだ。
それに気がつき、なんとかしようと、道具を充実させてようが、どんなに作業スキルを
鍛えようが、個人で対応出来る範囲をゆうに越える話ばかりだ。協力者も理解者もいる
が、諸問題に取り組むべき時に、誰かが誰かの足を引っ張りあっていて、地域が結束
しない。自分とて、問題の本質に限りなく迫りつつ、結局はそこに留まり切れなかった
のだから、迷惑をかけた部類の人間であることに変わりはない。

では、環境が変わり、スタート位置につき直した場合、過去の経験をどう生かすべき
だろうか。

いすみへ移って一年半弱。ここで一度振り返ってみて感じるのは、どこまでも必死だった
せいか、まだ力がよい感じに抜けていないかなという事。これからも頑張り続けるのは
当然だが、自分のしてきた事を冷静に振り返り、ラフでも良いから分析し直して、改めて
自ら評価する。他人にも評価を見解をいただく事を重視した方が良いと、書いてみて、
ほうぼうからコメントを頂いて感じる次第。
 

ここまでおつきあい頂けたこと、重ね重ね感謝を申し上げます。

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