田舎日記ホーム >>> 田舎生活 >>> 新規就農者ブログ >>> これ、仕事なの?

これ、仕事なの?

| トラックバック(0)

昨日から、玄米モチの仕込みを始めた。週末にお客さん達が来るので、その際に振る舞いを
兼ねて今年の出来を確認しておこうという訳だ。
 
それで、モチを作るには、薪が要るので午前中は薪割り。丸太そのものは、昨年に切り倒した
スギやらヒノキやら。使い道も無く、そのままゴロゴロ圃場の周辺に転がしてあったもの。しかし
半年以上、薪割りをしていなかったので、どうも調子が出ない。丸太も節くれが多く、一発で
気持ち良く割れてはくれない。
 
20161110_110108.jpg
 
仕方が無いのでチェンソーを出してきて、短めに切り直してから割る。
最初からこうすれば良かったのだ。
 
それにしても、久々だという事なのもあるが、仕事でマキを割らなければならないというのは、
どうも自分でも違和感があるというか。別に嫌いな作業でもないのだけれど。
モチの価格そのものも、製造に際してこの薪割りとカマドで蒸かすという作業が追加されたため、
今年より止む無く値上げとなったのだが、この作業を商品価格に転嫁して、お客様は喜ぶの
だろうかとか色々考えてしまう。・・・だが、現状では、カマドで蒸かすしかない訳だし、それなりに
正当性はある・・・うーん。なんというか、現代では、薪割りを生活の一部とする人は一般的で
ない。、ゆとりのあるロハスな人々の崇高な趣味と捉えられているような感じすらする。
でも、そんな余裕、自分にある訳ない。なんだかなぁ、作業中にそいういう事を考え始めると

『うっせぇな、こっちゃ趣味でやってんじゃねんだよ。こんな作業よぉ。みんな何か勘違いして
ねぇか?こんなんで金稼げる訳ねえだろ。実際稼げてねえし。』

みたいな、やり場の無い上に自虐めいてもいる気持ちが、頭に付き纏ってくるのだ。
それを違和感で片付けて良いものなのか、単なる愚痴なのかと。休憩しながら考えてみる。


ああ・・・、理解した。自分の薪割りのイメージが随分と歪んでいたようだ。
断じて、自分の生活はロハス(消費される言語という意味でのロハス)でファッショナブルな
ものなんぞではない。ただただ、状況に迫られて、過酷で非効率な作業を行っているだけだ。
うん、自分で割った薪をストーブに放り込んで暖を取るのが贅沢な訳がない。カマドで煮炊きを
するのが高級料理の筈がない。それで合っているし、これから先も、そうであって構わない。

本来の意味でのロハスな生活はしているかもしれないけれど、それは田舎生活を、農作業を
消費の対象として捉えている方々とは根本的にスタンスが異なるのである。
 
家には山がある。当然、山の木は適宜管理しなければならない。しかし、手入れしたところで、
切った木の使い道がなかったらどうなるか。それは、働き損だ。山林の管理が単なるタダ働き
でしかなかったら、そのうち手入れなどしなくなるに決まっている。そうなれば、次世代に禍根を
残すことになる。農地を、山林を、将来に繋いでゆくために、木を切ってモチをこさえる。五右衛
門風呂を沸かす。自分にとっては、そんな考え方のほうが、極めてスンナリ受け容れられる。
  

そんな訳で、傍から消費的な目で農村生活を捉えられるなんて事はあんまり歓迎出来ない。
自分にしてみたら、それがいい生活だなんて都市住民に言われたところで、正直余計なお世話
である。もしも、それに飽きたところで、定年も無いどころか、もはや死ぬまで止められない。
 
という、こういう生活に憧れを持つ方々の夢も希望も打ち砕きかねない過酷な結論に至るので
あった。田舎生活バンザーイと言い放ち、崖から飛び降りる覚悟のある方は、どうぞ真似をして欲しい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://inaka-nikki.net/mt/mt-tb2.cgi/1981