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#580 あなたは本当に就農したいのでしょうか?

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なんとか再開を始めたものの、なんだか画像の読み込みがどうしようもなく捗らない。
周辺機器の動作が良くないのか、デジカメに入っているSDカードの不良なのか、どうにも
判然としないが、これまで散々たくさんの写真を上げてきた身としては、やはり困ってしまう。
 
でもまあ、どうせ今日行った作業は草刈り程度なのだから、もうその手の話題は無理に上げなく
ても良いだろうか。しかし、何時、どのような作業を行ったかは一応記しておこう。

11月28日(木) くもり

・休耕田の周辺草刈り(減反ぶん三反+無償管理地一反強+農道沿い二枚)
 以降は耕起準備のため一度雑草を焼く予定

こうやって書いてみると二行で終わってしまう。しかも、何処についてかは、詳しく書くと
地名や人名などの固有名詞を用いなくてはならなくなる。それは流石に避けたい。
写真とは偉大なものなり。
 
でまあ、もう冬になるというのに草刈りが続いているのである。今年になってから、次々と
耕作をして欲しいと頼まれたものの、こちらにも圃場にも諸々の事情があり、今年の作付は
断った田んぼばかり。それでも、放っておいてどうこうなるものでもないので、草刈りやら
耕起程度の最低限の管理は引き受けたが、どう考えても単なるボランティアでしかない。
一部は減反に充てたりもしているが、転換作物が植えられるはずも無く、戸別所得補償を
受け取ってみたところで、大して足しになるものでも無い。無いよりはマシだし、なによりその
補助金は血税で賄われているのだから、文句を言うべくも無いが・・・。
 
そういえば補助金だ。今年になってから、ようやく【青年農業者給付金】というものを受け取け取る
ことが出来た。就農五年目にして初のまともな補助金を手にした訳である。既に就農して三年
以上が経過しているというカウントになるため、給付を受けられる期間は来年までとなるが、
よく使い道を考えて有効に利用しよう。何も考えないでいると、本当にあっと言う間に生活費と
して消えてしまい、何も残らなそうだ。しっかりと形のあるものに変えておかなければならない。

就農を志す人に伝えたいのは、

【何に使っても良いお金150万円の給付が受けられるから農業を始めよう】

という短絡的な考えを絶対に持って欲しくないということだ。確かに助かる制度ではあるが、
仮に全くのゼロから始めるにあたって、その程度のものがあったからとて安心することなど
到底出来ないと同時に、ごく小規模で将来も集約化が期待できないような就農ケースの場合
は、給付されない可能性もあるということを頭に入れておいて欲しい。また、もともと農家の
息子などが、家から経営を分離させ独立するという形の就農も、この給付金の対象となるが、
その場合でも、将来はある程度まで規模拡大をするという前提が必要になる。

農業を行う上でのインフラがあろうがなかろうが、基本的には飽くまでも国策に則った形で
営農プランを立てる者しか、給付を認めない仕組みとなっているのは当然の事だ。
従って、経営開始型給付金の場合、対象は主に認定就農者(該当地域が人・農地プランに
位置付けられており、農業を行う上での拠点・設備等を有していること、及び該当地域で
本人が将来の担い手として周辺農業者や農業委員から承認されていること )となる。
このための書類や、地域に自分を認知してもらうための手続きは、本人も自治体の農政側も
割と大変で、前例のない地域の場合、先ずは【人・農地プラン】に自分の地域が登録される
ように動く必要がある。対応は、自治体によって異なるので、スムーズにゆく所もあれば、全く
そうでない所もあるということは知っておくべきだろう。いずれにせよ、本気で取り組んでいると
いう姿勢が農政や地域に伝わらなければ給付は受けられない。自分の場合、それに至るまで
約一年半を要した。(水稲で就農するという異例なケースだったのが時間を要した要因のひとつ)
 
・・・既にこの辺りでハードルが高いような気もするが、就農したら150万円貰えるとか思って
いるのは相当甘い。国にしても社会にしてもフルイは良く出来ている。

就農準備型の場合は県の農大などの研修施設ならびに、県の認める農業者などで研修を
受けている段階の者となる。こちらは開始型と比べても割と給付が受けやすいと言える。
通常の志願者へは、自分のようにいきなり知らない土地に飛び込んでゆくより、こちらの方を
強く勧めたい。

もっと詳しく知りたい読者もいるだろうとは思うし、それなりに裏話もある。
しかし、かいつまんで説明すると、上記のようにしかならない。

叛骨精神のみで始めた仕事だが、気が付くと自分の指導の仕方も県や市の農政とあまり
変わらないものになっていることに気づく。イバラの道をどうして人に勧められようか。
  

「稲作で新規就農したいんです!」

『君ねぇ、そんな大変なことするもんじゃありませんよ。自殺行為に近いよ。』

「どうしてもやってみたいんです。」

『じゃあ止めません。けど、どうやってお金を用意するの?軌道に乗るまでどうやって暮らすの?』
 
「・・・」

自分が銀行に努めていたとして、上の会話のような青年が現れて融資してくださいと言って
きたら即座に断るだろう。農政の職員だったとしても、細かな計画書を書かせ、徹底的に
ダメ出しをして、挫けない人かどうか、当面は様子を見ることだろう。
そして、この人なら大丈夫そうだと判断した段階から、本気で支援を始める。

少々厳しいな表現だったかもしれないが、これがは出来るだけ主体者と協力者のリスクを
減らしつつ、精神面での信頼関係を構築する一番初歩的で有効なプロセスだと言える。
この段階でつまづくような人は、もし農村で暮らし始めても、周囲と相容れない状況を
作りやすくなる。確かにそこで何をしようが、ダメだったらとっとと辞めて出てゆこうが本人の
勝手ではあろう。けれども、本人がいなくなったとて、余所者がやってきて何をしていったか
という記憶と共に地域の人や農地は残る。

知らない土地に入り、良好な関係を築きあげ、人の往来を増やしたり、更に定住者が
増えてゆくようになるか、外の人間に排他的な環境を生み出し、将来そこで生活しようとする
全ての人々にまで禍根を残すか、どちらが望ましいだろう?
 
別に上記のような小難しい事を考えずとも、要件を全うすれば農地の貸借や売買、耕作は
誰にでも可能である。しかしその権利を持っていると言っても、忘れてはいけないのは、
地域だけでなく国全体で考えてみても農地が極めてパブリックな空間であることだ。安定した
食糧生産の基盤でもあり、景観や生態保全の目的、災害時の緩衝帯、乱開発への抑止力など
農地の機能は挙げればキリが無い。そこを管理する権利というものは、将来にわたってその
維持を約束するという意味が必ず含まれている。本来それこそが耕作者主義のはずだ。
そのような感覚は、徐々に失われつつあるが、それを全う出来ない者に土地を委ね続ける事が
いかに危険かは、農に直接的に関わるもので無くても、毎日何がしかの食物を口にする以上は
知っておく必要はある。人の価値観は多種多様であって然り。けれども、自分のみならず、将来
の世代の生命活動に関与する話をそれと一緒にしてはいけない。
繰り返すが、それを理解出来ない者が手を付けてよい事業とは到底考えられないのだ。

農ブームなどどうでも良い。農業とは最初からそのようなものと無縁である。
 

やるなとは言わない。ただ政策に媚を売るような計画を書いて、その通りになるよう愚直に
実践しろとも言わない。ただ、始めようと考えるよりも先に、どうやったら続けられるのか、
脱落者が多い原因は何なのかをよくよく考えてみる事こそが必要だとつくづく思う。
 
 
それにしても今回は、実践者として発信しなければならないという使命感が働いたのだが
なんとも・・・本来はどこぞのお役人さんからも伝えてもらいたい内容になったものだ。

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