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#460 じゃあ誰がやる?

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今日も今日とて草刈りばかり。
午前中は、畑の残渣処理を兼ねて、前回やり切れなかった区画の整理。
といっても、人の後片付けをしているだけだが。
 
やっとうなえるね.JPG
 
とにかく、全て粉砕完了。クズ米も撒布してしばらくこのまま腐らせてから
耕耘することにしよう。畑の土づくりを再開するのは久しぶり。何を植えようか
ちょっと楽しみ。というか、これもささやかな趣味と考えるべきか。
 
 
何故なら、この先の作業が過酷極まり無い。
休む間もなく、要塞田んぼを筆頭とする四枚の棚田周辺の草刈りに突入。
 

最も広大な草刈りフィールド.JPG 
 
ここは刈る面積が6反+笹ヤブの刈り込み+農道の整備と最もやる事の多い場所。
明日は雨の予報なので、半日で片付けなくてはならない。

黙々と、一番上の田んぼに向かって笹ヤブを刈り込んでゆくと、終点で思わぬ光景を
目にする。

辛うじて導線は確保されている.JPG
 
朽ちた木が山から倒れてきている。しかも、この木はかかり木(倒れる際に他の木に
引っかかっている状態)に加え途中で幹が折れ、導線を塞いでいる。辛うじてトラクタ
が田んぼに入って行けるだけの空間はあるが、放置するのは危険だ。撤去するには、
ヤブを拓きつつ山に入り、引っかかっている木もろとも除伐する他に手は無い。今朝、
道具を軽トラに積む際、チェンソーも積んでゆくべきか一瞬考えたものの、流石に
要らないだろうと判断したのが甘かった。農道寄りの山は笹が優先化してきており、
朽ちている木も増えている。山林の下草刈りの必要性が良く判るが、それは本来
自分が行うべきでは無いし、やりたいとも思わない。ただ、一部とは言えやらないと
耕作が出来なくなる。

 
毎年五月末には、この田んぼに近所の幼稚園児たちが遊びにやってくる。
そこでは休憩する場所を確保する必要もあるし、何より危険があってはならない。
そこで笹ヤブをなぎ倒して、農道も拡張しておいた。 
 
クズも太ると手に負えず.JPG
 
ここでも木や笹に葛が巻きつきまくっている。刈っても倒れてくれないので
非常に面倒臭い。写真のように、異様な太さにまで成長してくると、更に厄介。
単純に処理に困るだけでなく、巻きつかれた木が弱って倒れ易くなるなど弊害も
多い。刈払機は、基本的に地面に近い場所を刈るのに特化しているため、無理な
姿勢で作業させると危険。ここはノコギリやナタでの処理が無難。

 
やっとの思いでヤブ刈りを終え、畦畔を刈ってゆくとこのような有様。
 
 
笹に破れて田んぼで果てる.JPG
 
側溝を挟んで反対側のヤブも笹が密生し、締め上げられて力尽きた木が無残にも
田んぼに横たわる。邪魔で仕方が無いので、とりあえず草刈りが出来るように
切った上で圃場内に転がしておいた。
 

夕方、一応所定の作業は無事に完了。後は倒木の処理を残すのみ。
尚、この四枚の田んぼは強湿田につき作業は後回し。6月上旬に田植えを行う予定。
 
少しはスッキリした.JPG
 
それなりにスッキリ。田んぼ作業自体はまるで進んでいないのに、何とも妙な
達成感がある。今日は良く眠れそうだ。
 
 
とか、そんな終わり方で済む訳がない。
こんなレベルまでくると、もはや田んぼの草刈りとは呼べない。耕作の付随作業に
しては余りにも負荷が高すぎる。ここの田んぼにしてみても、貴重な生物が棲息
しているため、敢えて排水改良を行うつもりは無い。だが、このまま単独で永年管理が
出来るかなど、誰がどう考えても無理ではないか。
 
まず、これが農業と呼べるようなものか考えてもみて欲しい。山林は山林、農地は
農地という区分が出来て、初めて業態として成立するような枠組みを押し込められ
ても、中山間地の現実はそれを許してはくれない。6次産業化という機運も高まりを
見せてはいるが、生産基盤そのものが無くなればそれも機能しない。一度失われたものを
再生するには、途方も無い労力が必要であり、復元に要した経済的コストを回収する
事もまた容易では無い。従って実行するにあたり、経済的な面をある程度度外視して
推進する覚悟が必要になってくる。また、生物保護は市民運動として行うのがセオリー
だが、活動に参画する非農業者は、土地の事情をどこまで鑑みてくれるのか。農業者が
自然を守ってくれて然りだとどこか勘違いしている風潮は無いか。

諸問題に取り組むにあたり、人手が足りないとぼやいてみても、辺りを見渡せば人間は
幾らでもいる。根本的に足りていないのは、問題の本質を追求し訴求する努力が
出来る人、それを理解しうる見識をもった人なのではないか。


話を戻そう。
一所懸命にヤブを刈ったからといってコメの味が良くなる訳でも収穫が増える訳でも
無い。刈り倒した物質をを農地に還元しようにも、単独では限界がある。
手持ちの機械類は、お金を生み出すでもなく着実に消耗してゆき、作付け時期は
遅れる。こんな状況に直面し続ければ、耕作を放棄するという選択肢も簡単に浮かび
上がるのは明白。耕作放棄地が増加する原因を人に尋ねると、誰しも農村の過疎化・
少子高齢化を最初に挙げてくる。それは事象のトリガーとしては恐らく正しい。
だが、農地がどのような経過から末路に至るのかは、現場にいる者にしかわかるまい。
だが、現場からの発信は散発的にとどまり、その実態が多くの人に伝えられているかと
言えばそうでも無い。そのカタストロフにしてみても、恐らく1960年代の後半には
始まり、ゆるやかに進行してきたが、第三の開国とやらを目前に控えている今日、
どうやらそろそろ持ち堪えられなくなりそうだ。
 

この三年、自分は農業経営のなんたるかというものを学ばねばならなかった筈なのに、
だいぶズレた勉強をしていたらしい。だから、依然として収支は赤字が続く中、自分の
事を農業者という風に紹介されたりすると、どうしようも無い程の違和感を覚える
ようになった。
 
『あなたは、何をしている人ですか?』
 
「人がやりたがらない事をする人ですよ。」
 
そう答えるのが今のところ精一杯である。

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