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#422 週末耕作のこれから

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向風学校では、二年間にわたり当地で水稲の自力耕作を行ってきた。昨年は途中から
ブログでの作業報告が滞っていたが、二年目の成果は上々。社会人サークルの
レベルでも、週末の通い農で充分なコメの収穫を得る事を実証してみせた。これまでに
田んぼ作業に参加した方々の努力とスキル向上が実を結んだ事は、未熟ながら受け入れと
指導を担当した自分にとって、誰よりも嬉しく思う。

その活動も、今年からは向風学校主体ではなく、現役の農工大生へとバトンタッチ。
勿論、これまでの参加者も一緒に継続していけるよう配慮しつつの展開となる。
『面白そうだからやってみよう。』というノリだけでスタートしたような活動だったが、
確実に新たな局面に踏み込んだようだ。そこで、向風学校内でここまでの活動の総括を
行った上で、その発表と、新体制の説明及び参加者募集を兼ね、2月4日に、
12年の参加型田んぼ活動についてイベントを行うことになった。これはどなたでも
参加可能。会場は農工大(府中)となる可能性が高いが、詳細は追ってお伝えする
事としたい。
 
 
ところで、この二年間で【農業体験】と呼ばれる活動について、自分の中でも随分と
意識が変化してきた。そのことについて、昨年の向風学校田んぼの稲刈りの様子などを
見せながら考えてゆこう。

今年はちゃんと収穫できましたね~.JPG
 
よくある農業体験というのは、稲作では田植えや稲刈り、野菜では収穫のみなど
さわりレベルのもの。その参加者は多く、農業に関わりの無い生活をしている人や
児童が食や農について興味を持つとっかかりとしての意味合いは非常に大きい。
サラリーマン時代の自分も、一番最初はそういったイベントに参加し、そして運営側
スタッフとして活動をしていた。
 
 
豊饒祭り.JPG
 
そして、週末の通い農といった形で田んぼと畑の耕作に関わっていくうちに、どんどん
面白くなって興味の対象が広がっていった。また仲間が増えていった事、農業機械の
開発現場で働いていた事もそれに拍車をかけ、自立の道を歩むことになる。
関わっていた体験イベント及び受け入れ規模も、その間に拡大を続けていた。

だが、細かい事を知れば知るほど、一般的な体験イベントでは出来ない事をしたく
なるのも事実だった。それは、『楽しいね。農業って良いね。』という表面上の
訴求だけでは、何か生産者と消費者の間の壁が無くなる事も無く、時として、農村が
単なるイベントスペースとして消費の対象に成り下がっているような印象さえ受ける
ようになったからである。何か、もうこれは限界が見えたというか、そんな気持ち
だった。巷で、農業ブームとして取り沙汰されている事も、内容によってはもう
嫌悪感を禁じえなくなっていた。
 
 
農村の耕作基盤を維持しつつ、担い手を増やし円滑な世代交代を行うにはどうすれば
良いのか?また、それ以外でも廃れつつある土地の農的利用方法は無いだろうか。
それを喚起するにはどうすれば良いのか・・・農業体験イベントからも、幾らかは
ヒントが出てくるものの、その疑問の回答はもっと深くまで入り込まないと見えて
きそうも無い。そこで、自ら実践の場で考えるという愚直な方法を選ぶ事になる。
そこが恐らく普通の新規就農者と最も異なるところなのかもしれない。
 
そしてブログ初期の通り、見よう見真似の素人耕作が始まる。当事者になってしまうと
もう、農業体験などぬるい事は考える余地も無い程だったが、一年目の稲刈りの助っ人
に来た面々の様子を見ていて、以前の自分のように新鮮さを感じている様子が伝わって
きた。ああ、自分もこんな感じだったなと。

思えば、きっかけなんてこれで良いのだ、寧ろその先のベクトルの方が大切だなと
素直に意識出来たのは、それが初めてだったのかもしれない。

そこから、師匠の後押しというか良い意味で清清しいほど無責任な

『君たち、来年自分たちで田んぼやってみない?』
 
という勧誘により、向風学校の面々は独自の道を歩み始めた。
 
刈ってからが勝負!.JPG

とは言っても、自分のように野放しで育てる訳にはいかない。
とにかく、安全に・楽しく・周辺の理解も得られるよう・なるべく無理な負荷をかけぬ
ように意識してひたすらバックアップする事に専念した。一年目は相当きつい局面も 
あったが、彼らはなんとか無事。二年目は流石に余裕が感じられるようになる。

そんな中にあって、参加者は終始楽しそうに過ごしていることが、どれほど
こちらのモチベーション維持に繋がったかは測り知れない。

通い耕作者の受け入れは、いつしか日常のものとなり、わざわざ【農業体験】と
銘打って取り組むほどの事では無くなっていた。向風学校コアメンバーも
こちらと同様の雰囲気になっていったように感じる。

 
新米炊けた炊けた.JPG
 
それは、かくも自然に呑み込める感覚であったのかと、後から考察してみて驚くほど
なのだが確実に時間は重なり、参加者も自分も、そして植物も成長して稔りをもたらす。
 
その過程を含む全てを、関わった者同士が共有し合う事こそ、自分のやりたかった
活動なのではないだろうか。例え、それが既存の経済の仕組みから完全に切り離されて
いたとしても、である。

 
毎度の写真ですね~.JPG
 
世の中は、誰よりも良いものを手にしたい。安心できて美味しい物を食べたい、
静かなところでのんびりと生活したいと願う人々が大勢いる。そしてそれは
経済的に裕福であれば実現可能な事でもある。その為に、皆は一所懸命に働いて
いる故、何でもビジネスにしようとする。別に、今生の大半をそれに費やすのも
悪くはなかろうとも思う。しかし、最終的に辿り着くのが農村生活者だったとする
ならなんと平凡な事だろうか。コレクション趣味人の行き着く先は、石に何百万円も
払う事だと誰かに聞いたことがあるが、何かそれに近いものすら感じる。
自分なら、そんな虚しい事はしたくない。

財力のみで手にしたものというのは、時にその【過程】というモノゴトの本質
部分が覆い隠されてしまう。実はそこが一番面白い部分なのだと、自ら勉学に励む
気持ちの源になるものだと、どれだけ思ったことだろうか。
だからこそ、単なる消費活動には興味がゆかなくなった。

無論、自分とて買うものは買う。払うものは払う。それは普通の人と同じ事だ。
けれども、そこから滲み出す何かを感じ取る事の出来る人が増えれば・・・いや
増やさなければとても自らの仕事など成立し得ない。存続できなければ、喜んで
くれる人もいなくなってしまう。だから、モノゴトの過程を誰かと共有したかったのだ。

 
一過性のビジネスを仕掛けるより、人の可能性を信じて仕事をするほうが気が楽だ。
そんな風に思えるようになったのは、向風学校の面々がいたからなのかもしれない。
 
 
そこで、農業体験を提供するなどと、おこがましく表現するのは止めようと思う。
都市農村交流と言う言葉も違う。winwinもありきたりだ。何より言語を消費する
のが一番良くない。死ぬまで同じ仕事をベースとする以上、一貫性に欠ける言動は
慎まなければならない。

という訳で、スタンスとしては、結い精神の再構築及び拡大と維持。これに尽きる。
その根底部分として、まずモノゴトの過程を大切にしようと言う訳である。
それだったら一生意識していられそうだから。

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