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#418 ありがとう

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コメの発送作業をしていたら、知人の農家さんがやってきた。
茶のみ話のついでに大きな椎茸やニンジンを置いていってくれた。
最近は、お世話になった方々にコメを無償で配ったりしているせいか
食べ物を頂く機械も増えてきているらしい。

もらいもの生活.JPG
 
毎度の事ながら、本当に食うに困らない。カネは無くても腹を減らす事が無ければ
あまり悩む事は無い。まっとうなものが食べれているから余計に落ち着いていられる
ような気もする。でも、落ち着き過ぎて更新をおろそかにするのは良くない。

とにかく、物質にも食にも恵まれているのが実感出来るという日常がある。
それは即ち人にも恵まれているということであるのだから、やはり幸せ極まりない。

この状況になってみると、それがあってこそ働こうと思える。

では、以前は何で働かなくてはいけないと思っていたのだろうか?

死ぬほど働いてまで手に入れたいと思う物も無く、親孝行に励む訳でも無く、
稼いだお金でバカンスを楽しむ訳でも無かった。仕事が面白いと感じる瞬間も
多かったが、そんな調子では、なかなか仕事のモチベーションも維持出来ない。

だとすると、自分は単なる給料泥棒だった。
それでも勤め続けるのは、体裁を整えて社会的な信用を保っていたいというだけで
それが己の身を守る事だと思い込んでいたように思える。無意識にそれが作用していた
からなのか、余暇を利用して相当ボランティア活動をしていたりもしたが。いつも
何処か虚しい気持ちが残り、治まる事も無かった。なにしろ、それすら保身行為で
しかないのである。納得できなくては存分に動けない。

今にして思えば肉親や友人など己以外の特別なものを除けば、守るべきものなど何も
在りはしなかったのだが・・・。それでも己が内は空っぽだとしたら、殻が破れたら
何も残らない。だから働いていたなんて理屈にもならないな。

そうこうするうちに、生きる意味とか何かすごい事を考え始めてしまう。で、何かを
見つけたと思ってはすがる。しばらく続けて天井に頭をぶつけると、また違う事と
その意義を考える。そのうち年老いて動けなくなり、自分は不幸だと思う。
囲いの中でチョロQを走らせたら、壁にぶつかっては向きが変わるのを繰り返して
そのうちゼンマイ切れで止まる。然し、ゼンマイを巻く気力も体力も残っていない。
まあ、そんな感じなのかも知れない。

で、思うのだが、生きる意味をはじめとして、何でもかんでも意義をいちいち考える
事が人間の幸福を感じるためのハードルを上げているのではなかろうか。
 
 
だから、自分の理念としては、【生きる意味など無い】となる。
なにしろ、生きている事自体に感謝が出来るのだ。これに勝る幸福は無いではないか。
神に依存するでもなく、生きていればそれなりにパンクな結論へとたどり着くものである。

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