土砂を運び終えたら、今度は隣接する山の木の枝を落としたり、笹を刈ったりする。
放置していると施設側に伸びてきて邪魔だし、そうなってからでは片付けるのも大変だ。
木に登ってノコギリを引き、太い枝を落としたり、刈払機で下草を刈ったり、
植木バサミで壁に這うツルを切ったり。それらを集めたら、ようやく片付いたと
思っていた作業スペースが再び埋もれてしまった。
枝と葉っぱは細かく分けてあるが、このままでは仕方が無いので、乾かしてから
燃やす。いきなり焼くと煙が多い。一応周辺には配慮しておこう。
刈り終わったら、今度は乾燥作業場の屋根に登る。
ここには、夏の工事で使ったコンパネや角材がまだ置いたままになっているので
全て下へ落として整理しておいた。それらを使って、格納庫の中に棚などをこさえる
ことにしよう。
上から山を見てみると、手入れした部分と、そうでない部分は歴然。
下草刈りと枝打ちをしないと、まるっきり森の中が日照不足になることを、良く
理解出来る。手入れを怠るうちに、植生が単調になり、生物層も貧相になって
いよいよ土が弱っていく。
ただ、それが分かっていたところで、所詮は他人の土地。今回はどうしても仕方が
無くてほんの一部を刈っただけである。本来は、放っておくべきなのだ。
ただ、放置されても迷惑なのは確かである。
荒れた土地は、山火事・不法投棄・餌場を失った獣などによる周辺被害をもたらす。
持ち主には、そんな認識があるのか疑問だし、また、例えその土地をいくばくかで
手放したところで、被害の埋め合わせを行うとも、また出来るとも思えない。
本来、山林や農地は永続的に土地の人々によって管理される前提があったはずなの
だが、どうやら【管理したところで一文の得にもならない】というのが農村では一般
認識になっている。
要するにタガが外れているので、後はどうしようと持ち主の勝手なのである。
それでも、持ち主は心のどこかで、自分の土地を資産だと思うものだ。
このような土地の個人所有を許すには、あまりにも地域や経済の仕組みが老朽化
し過ぎてはいないだろうか?それが変わらなければ、例えばこういった土地を有効に
活用していくような市民運動などは、なかなか上手くいかないだろう。