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#317 稼業はふたつ

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中途半端に雨が降る。仕方が無いので、今日は工事をせずに、大工さんと資材の下見と
買出しに出かけた。羽子板つきのコンクリートブロックや、アンカーボルトなどを
購入して帰ってくる。
 
 
 
戻ってきてからは、先日引っ張ってきたカワサキのポンプを修理。放置期間が8年強と
長かったので、それなりに時間がかかったものの、もともとの使い込み度合いは少なく
無事に機能が回復した。先日、小さいポンプがあれば教えて欲しいと言われ
ていたので、これは丁度良かった。今日び、この類のポンプはホームセンターで
15.000~20.000円程度なので、その半額以下位が妥当だろうか。とは言っても、
エンジンそのものの造りは最近の新品より良かったりするのだ。樹脂部品は光沢と
弾力をまだしっかりと保っているし、アルミ製ファンカバーの塗装も全く劣化して
いない。
 
  
再生稼業になってきた.JPG
 
 
もし、その辺に打ち捨てられてている古めの機械があったら良く観察してみると良い。
年次が新しくなるごとに、安っぽい作りの物が増えていくのがよく理解できるだろう。
 

世の人々は溢れかえるモノの中で、確かに豊かな暮らしをしている。けれども、愛着
を持って扱われるモノの比率は、相対的に減少したと思われる。製品の増加を考えれ
ば、それも摂理と言えるが、モノへの関心が薄っぺらになってゆく感はやはり否めない。
また、携帯電話やPCなどに見られるような、勢い良く進化し続ける製品が広く普及
すれば、ユーザーは短期的な更新を余儀なくされ、どうしても感情は後回しになる。

モノを買い続けなければ、人並みの生活が出来ない。けれども、収入の増える当てが
ある訳でもない。すると、【人並み】という購買層に当てはまる製品は、

低コスト編重、品質それなり

しか無くなる。耐久性の高い安価なものなど、メーカーが簡単に作るはずが無い。
また、使い捨てに慣れたユーザーは、高価なものを要求してこない。


この感覚が浸透してくると、あらゆる買い物の選択基準がそれに画一化されるように
なる。そして、身の回りには昔よりお粗末になっているモノが増えてゆくのだが、
それには意外と気が付かないものだ。それは、普遍的に大量にモノがある故の弊害
であろう。この状況が続けば続く程、モノづくりは迷走の度合いを深めてゆく事に
なる。


我々は【豊かさ】を持て余して、過去に落っことしてきたのではないだろうか?
 
 
それを考えるとなんだか悲しくなる。本当なら、新しいものを手にしてもっともっと
感動したい・・・。然し、手にとって哀れみばかりが伝わってくるような製品を、
どうして大切に出来ようかと。そんなものに囲まれて暮らしていたら、気持ちが
荒んでしまいそうで、欲しくならないのである。なのに、あれが欲しいから死ぬほど
働いてやろうという気持ちになれるものも、そうそう無かったりするのだ。
まあ、止め処の無い話はこのへんで止めておこうか。
 
 
 
次は、スズキの発電機を直そう。手頃なサイズで、外観も良好。ただ、こちらは引き
取った訳ではなく、持ち主がいてるのだが、まだ本人がどうするか判断出来ていない。
とりあえず直して、必要無いのならば誰かに使ってもらうのが良いだろう。
 
 
使えるのに使っていないものは、誰かが使った方が良い。

農地が使われなくなれば道具も使われないし、その逆もまた然り。最近は稼業が変わった
などと揶揄される事もあるが、言わんとすることはそれである。


どんなに栽培規模を拡大しようとも、取り組みの主体や土地の条件は千差万別。
条件の整わない地域では、耕作放棄地など一向に減らないだろう。そんな中で、地域の
耕作基盤を将来に渡って維持し続けたいのならば、設備的な面からも他の耕作者を支援
するべきだと思うのである。

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コメント(2)

ポンプありがとう。
人見君の言う通り、最近の物って安っぽいものが多いよね。

僕が今、日曜大工で使っている道具の一部は、小学校の頃(今から30年弱前)に
買ってもらったものです。バリバリ現役だよ。

気に入ったモノには、愛着が沸き、使い込む事によってさらに磨かれる。
日本はモノ作り大国なんて呼ばれていたのに、モノ作りの本質を
忘れてしまっているのかもしれないね。

コメントありがとうございます。

お気に入りの大工道具のように、この子も使ってやって
ください
他にも需要があれば、まだまだ色々と探してきますよ。
 
 

モノの本質とは、考えてみるとまたややこしいですね。
【あるべき姿はこう】、というのは各々が持っているでしょうから
それに合致するものが、本質という感じなのですかね。
また、製品から読み取れる事が多ければ【真の姿】がはっきり見えて
くることがあります。
 
モノには、その時代の趨勢や、人々の考え方が良く現れます。
例えば、100円ショップなどで買える商品。これらには、果てしなく
円高とデフレが続いたことで、高級感や耐久性、使い勝手などよりも
低コストへの意識が強く働いたことが良く現れていますよね。

無論、それらでも【使う】事は出来ます。けれども、長期間【使い続ける】
のは困難かもしれません。材質・デザイン・強度などの要素が低い次元で
バランスしていれば、自ずとどんな使い方をされるかは方は見えてきます。
ひとつでも、突出したところがあれば、意外と大切にされやすくなりますが、
飽くまで【安さ命】のものに過度な期待はするべきではないのかもしれません。

ただ、そのコストダウンのために、只ならぬ心血を注ぐ人たちや、低賃金で
働いている人たちも大勢います。その中には、限られたコストで、どこまで
ちゃんとした製品を作るかという前向きな努力が続けられているケースもしっかりあるのです。
安くて当然の世の中で、その努力は正当に評価されているかは疑問です。
ちょっとは報われなないと、働く人のモチベーションが維持できないのでは
ないのかと思うのですが、その対価として単順に賃金を上げるとかは難しい
んですね。これでは製品が高くなってしまいますから。


デフレというのは、モノやサービスが安くなるという以外に、労働力を過小評価
するという側面もあるのでしょうね。これから先も、牛丼が百円になったら
それに見合った給料しか支払われないというような考え方が続くのでしょうか。
疲弊しつづけるた人が、最後に何を生み出すのか、非常に気になっています。
 
 
 

ところで、人と道具。
どちらがハードで、どちらがソフトでしょうか?

自分でも答えを知りません。