メガネ米のパック詰め作業が続く。
シールは、昨日に作ったデフォルトを利用すれば良い。
ポリ袋なので、絵は描けないが、内容量を自由に調整出来るのは便利だ。
使った際に、残りが出ないよう、一袋に6合(約900g)を詰めた。
いつも思うのだが、何故お米はキログラム売りをしているのだろう。
これだと、1Kgだと約100g、2Kgなら50g半端になる。
一升、一斗で売れば良い話ではなかろうか。
母が手伝いに来ていたのでそんな話をしたら、昭和30年代くらいまでは、米も
升・斗での量り売りが普通だったと教えてくれた。定かではないが、ビニール袋
での販売が浸透するに従って、キロ売りに変化していったのかもしれない。
合・升・斗というのは容量。キログラムというのは重量。炊飯時は容量での設定を
要求されるのにも関わらず、販売は目方。どちらかに合わせた方が、買うほうも
面倒でないし、売る方の歩留まりも悪くはならないだろう。量り売りの良さという
のは、容器のリサイクルにばかりに着目し勝ちだが、おそらく中身を無駄にしない
という良さもあったのではないか?
何より、ビニールという自由自在の容器があるのに、何故皆はこんな面倒な事を
しているのだろう。
いつだったか、知り合いが、ゴミ袋の疑問を語っていた。
『ゴミ袋は、何故別のビニール袋に入って売られているのだろうか?』 と。
確かに、その包装袋は中に入っているゴミ袋に納まるためにあるようなもの。
ビニール袋の存在には、捨てる前提がありきだと端的に伺える良い例だ。
どうせ捨てるために存在するのなら、ゴミ袋の中にゴミ袋を入れて販売する方が
どう考えても筋が通る。
しかし、捨てるのが普通になってしまった時代では、そんな疑問も抱きにくい。
だから、発想する事においてのみを考えれば、ビニール袋というものは鬼門かも
知れない。なにしろ、目に映った瞬間、ゴミとしてしか認識されない。
簡単に捨てれる事だけが取り柄でも無かろうに。ビニールさんも不遇なもんである。
こんな考えごとをしながら作業していたら、すぐに終わってしまった。