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#146 書くこと

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先週の、検査結果が出た。
特に疾患はなく、ハウスダストや花粉のアレルギー反応有りとのこと。
体そのものは、これまでと別に変わりはないようで胸を撫で下ろす。

ただし、それだと今回の不調の原因は何だったのか解らないままだ。
引き続き、食生活と運動習慣に気を遣うことは言うまでも無い。

思い返せばここ3ヶ月くらいの間、これまで何年も継続してきた習慣が途切れていた
のかもしれない。ストレッチ・筋トレ・そして日記・・・。
これらを怠った事で、自らの動きが緩慢になったようなのだ。
 
 
それで、日記についてである。今は主にこうしてブログをつけるようになっているが、
これは農作業記録であって、自分は本来ボールペンでレポート用紙の表裏を使って、毎日
なにやらたくさん書いていた。ちなみに今日書いたのはこれくらい。

紙と薬は仲良しだ.JPG

びっしり書かれた紙と薬は恐ろしく似合うが、別に苦悩はしていないのでご安心を。
 

ダラダラと何か思いつくまで、その日の出来事を羅列しているかと思えば、鬱積がひどく
溜まっていたりすると、41行の用紙の表裏どころか、3枚にわたるまで書いていた事も
ある。要は、その日その時に気づいた事を思い出して具体的に考えてみたり、問題意識の
はけ口とするために書いていたようなのだ。(今日書くまで、それも考えた事は無かった)

それは勿論、日記もブログも書くのにはそれなりの時間はかかる。このブログを読んだ
人からはよく、『書くのが大変でしょう。』 とか 『よく書けるね。』 などと
言われるが、別にそんなに大変なことだとも思っていないし、無駄な時間を費やしている
とも思っていない

自分にとっては、むしろ書かないほうが大変なことになってしまう。
それが、先の <行動が緩慢になり、体調を崩す> という結果に当たる。

 

今、自分は自らの意思で行動をしていることが多い。と、言うよりかはどんな状況が
あろうと、生まれてからの行動全ては自らの意思であり、その意思の先に新たな状況が
現れる。今、自分がこうしているのもこれまでの取捨選択の結果だと思っている。
そう思えば、例え満足の行かない状態であっても肯定し、次の行動を起こす事が出来る。
行動すれば、何かが変化する。その変化から気づきというものを拾って、それを意識する
ようにしていれば、また新たな行動に結びつく。

 
発見⇒意識⇒行動⇒変化⇒発見・・・
 
 

別に、珍しくも面白くもない話で、これは誰にでも当てはまるルーチンだ
しかし、神や薬やらに頼らずに現状を肯定しながらこれを回そうとすると
大変なのだ。


現代に生きる人は、何時、何処にいても世の中でも起こっている大体の現象を知ることが
出来る。しかし知ったからといって、茶のみ話のネタ位で、すぐにどうなるというもの
でもない。なにしろ、起こっていることが途方もないような話ばかり。そして伝わって
くるものは【事象】であり、その因果までは正確に知り得ない。

【物事の関連性】が欠如した状態で語るのはたやすい。そして事象のみは知っている
ために、何でも知ったような気になってしまう。
それは、まるでカンニングをして神様になるようなものに思えてくる。

 
これでは、例えどんなに問題意識を喚起させるようなトピックを得たとしても、皆その
当事者あるいは、関係者にならない限りは積極的に行動しないだろう。

その感覚にも慣れてくれば、事象に対する因果関係の見えやすいはずの、自らの所属する
組織の中でも同じような姿勢になってくる。そして、その中で問題に直面している者は
疎外感を覚えて周囲を信用しなくなる。


そんな状況下で、一人ひとりが抱いた問題意識というものは何処へ向かうのだろう。


無理をして体を壊すか

仲間と酒を呑んで愚痴を言うか

一人で悩み、抱え込んで心を煩うか

自分は関係ないと決め込み、人に責任転嫁するか

慣れてしまい、意識しないことを意識するようになるか

考えあぐねているうちに、違う問題が発生してそちらに意識を集中するか
 
 
このような行動しか取れないのならば、どれも個人や小集団という単位で対峙する
には大きすぎる問題だったということになる。

これが繰り返されると、何も変わらないから ~ しても無駄。 という、思考及び
行動の放棄が助長されていく。それでも尚、事象だけは知り続ける。
そんな中、現状に自らの因果を当てはめて考え、状況を肯定するというのはいかに困難な
ことなのか。
 
 
そうならないために、普段から小さなことでも気づいたら、次はそれを意識して行動し、
結果に反映させてゆくことが大切なのだろう。

 

例えば、

コンビに弁当を毎日買うとお金が勿体無いし、体にもそろそろ気を遣いたいから、自分で
お弁当を作るようにした。一ヵ月後、体調が良くなり、友達からお弁当がかわいいとよく
褒められるようになったので、沈み勝ちだった気分も明るくなったし、友達とも仲が良く
なった。半年後、浮いたお金が貯まったので、その友達と温泉旅行に行った。
 

これならどうだろう?

自らの判断は間違っていなかったと思えるし、それによって継続、旅行へと次の行動が
起きている。また、自らの周囲への影響も察することができると同時に、周囲が自分を
肯定していることも実感している。
 
 

要は、【次に何がしたいか】という事を自然に考えられるような状態を普段から
作り出しておきたいと思っている訳だ。それを続けていく事が、今一番人見太郎に
とって必要な事なのではないか、と。

 

と、ここまで書いていてなんだが、結論としてはサボっていたことを暴露しただけだった。
それでも、気づかないよりはマシだろうか。
とにかく、今日も省みる時間が作れたことは何よりも有り難いことだろう。

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