千葉県で田舎暮らし・新規就農者のブログ-田舎日記の新規就農

千葉県で新規就農を果たした若者の新規就農の軌跡を、BLOGでお伝えしています。千葉県での新規就農を目指している若者の参考になれば幸いです。

新規就農者ブログ

2017年11月

モチ食って死にたい

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作業中、撮影をすることが少なくなった。
別に、ブログをサボろうという気持ちでそうしている訳でもないのだが、別にそこまで
農業一色でなくてもいいのかなぁ、なんて気持ちもあったりする。
そこで、しばらくは農作業の野帳代わりという以外にも、日々印象に残ったことの記録
という昔のブログに良くあったようなスタイルも織り混ぜてみようかと思う。


まずは昨日の話。練馬のプチマルシェに来てくれた女性のお客さんに、玄米モチの
試食をしてもらい、話がその食感についてになってからの流れ。

『ふわふわなんですけど、歯切れも良いので割とお年寄りの方も安心して食べれるって
言われるんですよ。』

「あ、確かに。これならいいかも。」

『おうちに、ご年配の方が?』

「そうじゃないんだけどね、食感はその通りかな。でも、ふと思うんだけどモチを
つまらせて死ぬっていうのも良い死に方なのかもしれないなって思って。」
 
『ああ~、確かにそうかも知れませんね。好きなものを食べて死ねる訳だし、苦しんだと
しても、多分4~5分以内に意識失っちゃいそうだから、そこ耐えれれば結構楽かも。』

「あはは、ホントに。自分が死ぬんなら、そんな風な最期がいいなって思うのよ。」

まったく、実際にモチを喉に詰まらせてお亡くなりになった方々や、そのご遺族からして
みれば不謹慎極まり無い会話なのだが、お互いに自制心が働く訳でもなく会話は続く。

『しかし、コロっと死ねるのも良いけど、自分は社会的な役割が無くなったなと判断
したら死にたいというか、その判断が出来るうちに死にたいというか。』
 
「あ~、すごいわかる。それ。判断なんて任せて欲しいよね。」

『自殺したいとかじゃないんですけど、別に無理矢理長生きしなくてもいいかなって。
その上で、延命治療とかもする必要ないと思うんなら、しなければいいんだし。』
 
モチの話から思わぬ方向へ行ったものだが、実際、最近は死に方についてぼやーっと
考える事が多くなったというか、死ぬことに淡い憧れを抱くというか、何故かそんな
事が多かったのも事実。誤解して欲しくは無いので書いておくが、別に死にたいと
いう強い欲求がつのるという事も無く、普段と同じように生活をしていていられるし、
仕事のモチベーションが下がることも無いので、勝手に安心している。

まあ、心の底から、必要以上に長生きなんてするものじゃないとは思っている。
そりゃあ、死神に明日死にますよとでも言われたら、嫌だ嫌だとゴネるかもしれないが。
なにしろ、今の仕事を続け、まだ見ぬ子孫や後継者へと受け継いでゆくのが自分たちの
役割だと思っている訳であるし。それくらいの責務は全うしたい。
さりとて、これから先の未来にはそれ以外の特別な希望なども抱いていない。むしろ
世の中を見てみると、行く末が心配になるようなことばかりなので、慢性的に死への
淡い欲求が生じるのはある意味自然のことのように思う。いっそ、抱くなら抱くで、
それと上手く付き合って生きていこうじゃないかと。

そんな感じで生きている人が自分以外にも世間には意外といるのかもしれない。
彼女との会話は、なんとなくそう感じさせるものだった。
そして、そこまで懇意でも無い人と【死】についての観念を少しでも共有出来たことが
凄く嬉しかった。向こうがこの会話をどのように感じたのか知る由も無いが、終始に
こやかにその話題で盛り上がり、野菜もモチも買っていってくれたのだから、不快では
なかったのだう。
 
また、不謹慎かもしれない話を平然と出来たのは、自分の祖父が二人ともかなり衝撃的
且つ唐突に、そして遺族をさして困らせることもない亡くなり方だったからのようにも
思う。

父方の祖父は、『百まで生きる。百で再婚する。』が口癖だった。マンガに出て
きそうな位にタフな老人で、80を過ぎても腕立てが100回近く出来た。
そして齢89の時、医師が必要無いというのも聞かず無理矢理持病である脱腸の
手術をするために入院。手術は成功したものの、術後に院内で肺炎にかかり死去。
この一件で、生に拘りすぎると却って良くないということを知る。
葬式で、親戚は口を揃えてほっときゃ百まで生きれたのにと語っていた。
けれども、誰も落胆した様子は無く、皆、思い出話に花を咲かせ、ひたすら笑いあって
いたのが印象的だった。

『婆さん早死にやったからな、その分までおじやん生きてやんねんで。』

と、息巻く祖父の様子を、あの世で見かねていた祖母が、ええかげんにせえよと迎えに
来たのではないかといった冗談まで飛び交う始末だった。


母方の祖父は酒好き。戦友会があった際、宴会に持ち込まれた幻の銘酒が沢山余った
ので、その一升瓶をホテルの部屋へ持ち帰り、一本丸々開けて就寝。そして翌朝に死亡
しているのを同室の知人が発見。
大好きな酒を、文字通り死ぬほどカッ食らっての往生。戦友の方々はこれをひどく
羨ましがり、その戦友会はその後暫く毎年行われていたそうだが、【残念ながら】
同じように亡くなることの出来た方はいなかったとの話。享年81.
祖父無きあとの祖母は、それから17年が経過した現在も元気でアタマもはっきりと
しており、体が動くうちは何かから解放されたように悠々自適な生活を満喫していた。
伴侶と最後まで一緒に連れ添えなかったとしても、しっかり幸せに暮らすことも出来る
のだなと彼女を見ていて思う。
 
自分が二十代前半だった頃、立て続けに祖父がこんな風に亡くなったのなら、それはもう
その後の考え方や生き方に嫌でも影響を及ぼすだろうよと、今更感じる次第である。
ああ、羨ましい亡くなり方をする方々が随分と身近にいてくれたものだ。

そういえば、父も自分が子供のころから『お父さんは50で死ぬ。』等とおかしな
事を言っていた。「へー、お父さん50で死ぬんだ。」等とスルーしていたら、それが
二十歳の頃は『60で死ぬ。』。現在は『コレを生涯の仕事としてやり遂げたら死ぬ。』
死ぬ死ぬ詐欺である。

そんな父の息子なのだから、こういう事を平気で書いてしまったりするのだろう。
子供が出来たら、

『お父さん、モチ食って死ぬのが夢なんだ。』

とでもいつも話してやろうかと。


これを読んで、気を悪くされた方がおりましたら、謹んでお詫び申し上げます。

穴、掘れたかや?

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相変わらず、無償で入手できる有機物資材は色々と試してみたい。
今回、妻がどこからか話をつけてきたのは《カヤ》

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カヤぶき屋根の家屋から出たものだそうだ。2トン車二台分。
堆肥の材料にするか、畑に散らして鋤き込むか、畝間に敷くか。色々と使い道は
ありそうだ。とにかく、このまま畑に置いておく訳にもゆかないので、使いながら
どかそう・・・とか思っていたら、穴の中で保存するサトイモの被服資材として、早速
使うことになった。
 
そうそう、イモ類などを保存するために深い穴を掘るのなら、ついでにその穴が部分
暗渠として機能するようにしておこう。
 
20171122_101151-1.jpg
 
まず、腰くらいまでの深さまで人力で穴を掘り、そこから更にダブルスコップなどで
穴を掘り下げる。すると、割と簡単に2m以上の深度まで掘ることが出来る。浅い井戸
なども、こうして掘れば良いのかもしれない。

今回は、たまたま格安の新古状態で入手したアースオーガを使用してみる。モノとして
は、どこぞの国の、どこぞのコピーエンジンを積んだお粗末な造りのもの。こういう
製品は、使わない・買わないを徹底してきた自分ではあるが・・・まあ、あるのなら
使ってはみる。しかしなんというか、道端に未開封の缶コーヒーが落ちていたので、
とりあえず飲んでみた的な不安感も抱いてしまう。なにしろ、もう十数年前の話には
なるのだが、前職ではこういったコピー製品のテストを行っていたことがある。その時の
結果ときたら、とてもマトモでないものが多かった訳で。

恐る恐る使ってみると、排気量があるので、分厚くてみっちりと詰まった粘土層でも
なんとか掘り抜くことは出来た。しかし機械の振動は閉口もの。革手袋の下に軍手を
はめて、なんとか凌いだが。長時間使うと関節がイカれること間違いなし。そうそう
使い込むことも無さそうだが、そうなった場合の安全面でも問題がありそうだ。経験上
使い込んでヘタッてきたり、重負荷を加えたりして、故障・破損に至る際に、かなり
危険な挙動を示すことが多いのである。しかし、この手の製品は、使い込む以前に
しょうもない故障で再起不能になるケースも珍しくは無く、むしろ使いこめる物だったら
【当たり】とも言えてしまうのが辛い。

とにかく、鉄則としては、

【あまり使い込むな・少しでも過負荷だと感じる状況があれば手加減しろ】

以外には何もなく、それが嫌なら、しっかりお金を出して良いものを買えという話だが。尚、掘った穴には砂利や
モミガラを詰め直しておかないと排水改良にならないので注意。

まあ、ちゃんと使い道があることは判明したので、これからは、転換畑の排水改良や
掘っ立て小屋の柱を立てる際の下穴開けなどに活用することにしよう。

先月いっぱいまで野菜の収穫と出荷が忙しくて、なかなか土づくりや作物の管理が
出来ずにいた。少しずつとは言え、問い合わせも増えて売上が伸びてゆくのは有難い事に
違いは無いのだが、肝心の野良仕事に手が回らなくなってくるとなると、実に心中
穏やかでない。その状態が続くと、品質低下や収量の減少に繋がりかねない。
そうなると、折角ついてくれたお客さんも離れてしまう。
 
しかし、二度に渡る台風の襲来で、強制的に端境期になったこともあり、ようやく
少しは土づくりの方へも集中する時間が作れた。
知人が紹介してくれた所へモミガラを回収しに行くと、思わぬ状況が。

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モミガラの大半は田んぼの土手にぶちまけられ、焼かれて半分以上が灰になった
後である。これを、全て持って行って良いとのこと。焼く前のモミガラの量を考えると
少なく見積もっても、灰との体積比で10倍、下手するとその倍以上である。

実は、この灰になったモミガラ。自分でこさえようとすると、異常に大変なので
なかなか出来ない。薫炭を焼いた際に、失敗してしまうと得られることがある程度の
もので、あまり意図的に焼くことはなかった。酸度矯正や、ケイ酸をはじめとする
ミネラル類の補給、そして優秀なカリ肥料として・・・非常に有用な資材だと言う事は
知っていても、例えば300Kgのモミガラを運んできて、それを灰になるまで焼いて
しまうと得られる資材の量は、冗談抜きに30Kgの米袋にして1~2袋。
それを何十袋もこさえて畑に振るというのはあまりにも現実的でない。それを
やりたくても出来ないので、時々は苦土石灰やケイカルを購入して散布してきた訳だ。
 
先方にしてみれば、処分に困るモミガラをただうず高く積み上げて燃やしただけには
違い無い。それを何もせず放置しておくのなら、幾らでも回収するに決まっている。
 
20171104_140700.jpg
 
因みに、薫炭や灰を掬う際には、柄のヘシ折れた角スコップを使うと非常に便利。
片手で難なく扱え、コンパクトで持ち運びにも便利。

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