戻ってきたところで、天気は良くならないが、出先でいくつか注文を頂いたので、
発送の準備をする。
黙々と袋に絵を描き、精米した米を詰めて、箱を組み立てて米と一緒に請求書を入れて
発送伝票を張る。今年の発送開始は早く、稲刈りを行いながら一連の作業を行っていた。
昨年はこの作業がなんとも億劫にもなったりしたが、慣れとは恐ろしいもので、手間の
かかる作業も、最早なんとも思わない。というか、生計が厳しいのが自然にそうさせるのか。
昨年はこの作業がなんとも億劫にもなったりしたが、慣れとは恐ろしいもので、手間の
かかる作業も、最早なんとも思わない。というか、生計が厳しいのが自然にそうさせるのか。
そんなに手間ばかりかけてどうするの?
と、よく言われるのだが、地道に訴求をする意思はなかなか遠回りばかりさせてくれる。
米を全て売ってしまったところで、半年も生活は出来ない。とっとと売り捌いてしまい
あとはバイトでもする方が賢明なのかも知れないが、今の自分にとって、収入と食の面から
米は生活の糧であると同時に、ツールでもある。従って、未だに名詞も作らず、米を名詞
代わりにしている。食べれる名詞なら、インパクトも強かろう。そこに手を抜く訳には
ゆかないのだ。
コメが余っているという報道が飛び交い、安いものとしてしか認識されなくなりつつある中、
何から何まで違う米だと伝えたくても、その物のみをいくら説明した所で無理がある。
ならば、米ではなく自らを知ってもらう他には無さそうだ。
どうやったら高く売れるかなどと考えるより、その方がよっぽど面白い。
人を通じた売買の判断基準は、高い・安い・品質というだけでも無さそうだ。
お金がモノやサービスを媒介する際には、少なからず人の気持ちも乗っかっていく。
ならば、払ってくれた方には面白がってもらいたいし、こちらは有り難く受け取りたい。
陳腐な言い回しだが、お金を有り難く受け取りたかったらどうすべきかと真剣に考えて
いたら、嘘はつけないし、粗末なものも出せない。
それを続けた結果、信じて頼んでくれる人が増えるなら
ずっとバカ正直でありたい。必要以上に周囲を詮索して、何か仕掛けるのは息苦しくて
仕方が無い不器用な者の遠吠えでも、知った上でやっているぶんは構わないではないか。
