家のようなものの鍵を手にしてから、はや二週間。
室内は少しだいぶ片付いたが、部屋の改修・電気・水道・ガスの工事は、まだこれから。
現在は、掃除をしつつ少しずつ工具や農機などを運び込んでいるところ。

この部屋は、資材と作業機置き場・機械整備スペース、調理場ができる予定。
ここのところは、各部屋の改修内容を描き大工さんや水道屋さんに渡して見積もりを取って
もらっている。
こちらは居住スペースとなる和室。

当初は畳がなかったのだが、不動産屋の社長が親切な方で、古民家の物件から出てきた
畳を頂くことができた。
その社長とは、盆前に何日か一緒に片付け作業などを行ったのだが、炎天下、重機の操縦
やらやら畳運びやら、とにかく自らなんでもするので驚いた。もう70代中盤だというのに。
いったい、ここに来てから出会うのは十中八九60歳以上で元気な方じゃないか。
若い人には驚くほどに会わないが、不思議といつも活気を感じる。
そんなに沢山人がいる訳でもないのに、不思議だ。
そういえば、先日挨拶に行った畜産農家の方の家で 『この土地の水に慣れなさい。』 と
言われたのを思い出した。
この空気とか、風土というのではなく 地域を 【水ないしは海】 と表現するのが印象深い。
【水】ということは、自分たちは 【魚】に例えられている。
そして、ここに暮らす一人ひとりは、自らの周りに常に水を纏っていて、それが合わさって
海が出来ているというのだ。
その水に活気を感じるならば、やはり土地の人柄がそうだという事だろうか。
ところで、空間的な表現としては、【空気】よりも【水】のほうが限定的な印象を受ける。
ここは飽くまで田舎という封建的で閉鎖的な空間だということを、意図せずに表現して
いる一面もあるかもしれないなと思う。
水に馴染めなければ、酸欠になり口をぱくぱくさせることになる。そして行動範囲も広げ
られない。何故なら、狭い土地の内にあっては、出かける所に【人】がつきものだからだ。
逆に、都会では、土地を水に例えるというような発想そのものが困難だろう。
もし 【水】 という表現を無理に当てはめれば、どうしても澱んだイメージになりやすい。
ここに辿り着いた時は汚れた水の衣を纏っていたのかもしれない。
今は、どんな色になっているのだろうと、少し気になってきた。


農機具が置ける広いうちがみつかって良かったね!!
結構、文章が書けるので驚いています。
昨日、パソコンが治ったので、ほっとしていますが
今日は2度目のコメントです・・・ふふふ
おばあちゃん